八幡製鉄所はなぜ北九州に?~立地論を学ぼう~|岡山の進学塾|加藤学習塾・個別指導塾

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八幡製鉄所はなぜ北九州に?~立地論を学ぼう~

加藤学習塾ブログ

2023/04/20

みなさん、こんにちは。

八幡製鉄所は名前を聞いたことがありますね。
1894年に起きた日清戦争の賠償金を使って建てられた製鉄所であり、日本の重化学工業化に貢献しました。
八幡製鉄所はなぜ北九州なのでしょうか?
地理学に立地論というものがあります。
この理論を構築させたのが19世紀から20世紀のドイツの社会学者であるアルフレッド・ウェーバーです。
簡単に説明すると、工場が立地するのは主に3要素があり、①原材料が手に入りやすいか、②労働力を確保できるか(安価な賃金で大量の労働者、安価で広大な土地)、③市場を確保できるか、というものです。

まず、①原材料が手に入りやすいか、について考えてみましょう。
北九州には当時、筑豊炭田という石炭が採掘できる炭田がありました。
また、日清戦争により、中国との関係で優位にたった日本は中国から石炭や鉄鉱石を大量に輸入していました。
よって、筑豊炭田や中国に近い北九州は原材料が手に入りやすかったといえます。
次に、②労働力を確保できるか、について考えてみましょう。
関東の群馬県には、富岡製糸場など、各地に紡績場や製糸場が造られた一方で、北九州は交通・外交の要所でありながら、未開発であり、農村が広がっていました。よって、農村部の安価で大量の労働力が確保できたといえます。
次に、③市場を確保できるか、について見てみましょう。
八幡製鉄所が出来て以降、長崎県はリアス海岸を活かした港湾で造船所が出来て、瀬戸内地域でも広島県呉市をはじめ波が穏やかな瀬戸内海を活かして、大型の港湾都市が出来て、各地に造船所や軍施設が出来ました。
また、今後、日露戦争や朝鮮併合、満州事変、日中戦争、太平洋戦争へとつながっていくのですが、日本は東アジア・東南アジアを征服して大東亜共栄圏を築くことをもくろんでいました。よって、中国や朝鮮を狙うためにも、北九州に製鉄所があれば、軍の戦艦や兵器などを供給しやすくなります。よって、市場も確保できました。

よって、八幡製鉄所が北九州に建てられたのは、綿密な日本の計画だったといえます。

現在、北九州工業地域の製鉄業は衰退して、食品加工業や電気機械類の製造、さらには、エコタウンを造成して環境に優しい工業地域を目指して産業転換を行っているところです。

少なくともいえることは、八幡製鉄所は、日本の近代化をすすめたことで日本の歴史の重大な一つですね。

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