日本の面積の変遷~植民地化の流れをみてみよう~|岡山の進学塾|加藤学習塾・個別指導塾

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日本の面積の変遷~植民地化の流れをみてみよう~

加藤学習塾ブログ

2024/11/22

みなさん、こんにちは。

今日は以下の問題にチャレンジ!!
現在の日本の面積は約38万km²ですが、かつて、日本は、周辺の国との戦争に勝利したりして植民地として領土を広げた時期があります。
歴史の流れをおさえればおのずと答えを導き出せると思います。



問い:「明治時代から1910年にかけて、植民地を獲得するなどして、日本の領土面積は変遷しています。以下の選択肢の中でどれが適切でしょうか?」

(単位:万km²)
ア:約38(1880年)→約38(1895年)→約45(1905年)→約68(1910年)
イ:約38(1880年)→約38(1895年)→約42(1905年)→約45(1910年)
ウ:約38(1880年)→約42(1895年)→約42(1905年)→約45(1910年)
エ:約38(1880年)→約42(1895年)→約45(1905年)→約68(1910年)
オ:約38(1880年)→約42(1895年)→約68(1905年)→約68(1910年)



【解答】
〈ポイント〉
①1895年「下関条約」
→1894年の日清戦争に勝った日本は、下関条約にて、賠償金と領土を獲得します。
獲得領土は、台湾・澎湖諸島・遼東半島です。しかし、遼東半島については、フランス・ドイツ・ロシアの三国干渉によって清に返還されます。

②1905年「ポーツマス条約」
1904年の日露戦争の講和条約として、アメリカが仲介する形で、ポーツマス条約が結ばれました。
賠償金を獲得することは出来ませんでしたが、その代わり、日本は、南満州鉄道の権益権や韓国の優越、そして一部の領土を日本に割譲しました。
そのときに得た領土は樺太の南半分や遼東半島の一部です。

③1910年「韓国併合」
日清戦争・日露戦争で韓国の実質支配が可能となった日本は、1905年に韓国統監府を設置。そして、植民地化するために、1910年に朝鮮総督府を置いて、韓国併合を完成させました。
ちなみに、韓国統監府の初代統監は伊藤博文であり、1909年、日本の植民地化反対運動が過熱していた中、安重根によって、伊藤博文が暗殺されました。
韓国の歴史の授業では、日本の植民地化反対運動の代表的象徴として、安重根はヒーロー的扱いである。


どうでしたか?
歴史の流れをおさえておきましょう。

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