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歴史の転換点~ヤルタ会談~
加藤学習塾ブログ
2023/05/17
みなさん、こんにちは。
1945年の2月に、当時はソ連領であるクリミア半島のヤルタというリゾート地で、アメリカのルーズベルト大統領・イギリスのチャーチル首相・ソ連のスターリン書記長という、三大国家の首脳が集まり、ヤルタ会談を行いました。
ここで主に決められたことは以下の通りです。
①戦後のドイツの処遇(賠償金・刑事責任・分割占領など)
②ポーランドやバルト三国などの東ヨーロッパの戦後復興
③国際連合の設立と、より強い権限を持った安全保障理事会の設立、さらには5カ国(アメリカ・フランス・イギリス・中国・ソ連)の拒否権
④ソ連の日本への参戦および、樺太・千島列島・モンゴル・中国東北部(満州国があったところ)の領土や権益の保証
①や②の結果、ドイツは西ドイツと東ドイツに分かれることになり、ポーランドも社会主義化するなど、資本主義国家と共産主義国家での東西冷戦が本格化しました。すなわち、第2次世界大戦の終戦後も、緊張状態が続きましたので、平和体制が築けたかどうかは疑問です。
また、③の結果、着目したいのが、安全保障理事会とそれに伴う常任理事国の選任、そして、拒否権の譲渡ですね。
常任理事国の選任が、第2次世界大戦の戦勝国による遺物になっており、さらに、拒否権によって、国連が機能不全になっている事態が度々ありますね。
コロナへの対応でしたり、ロシアのウクライナへの侵攻でしたり、拒否権が都合よく行使されて、国連の体制が現代社会に合っているかどうか疑問です。
そして、④の結果、8月8日にソ連は日本に宣戦布告して、北方から侵攻して、南樺太・千島列島・北海道の北東部にある島々を侵略して、北方領土問題になっていますね。ヤルタ会談にてアメリカとソ連が密約をかわしたことにより、ソ連は国際法的に正当な手段で、北方領土を獲得したという主張ができますね。
よって、北方領土問題は半永久的に解決が難しいのではと思います。
ヤルタ会談での決定事項が、現代社会でも残っており、それが、国際問題に発展していますね。
歴史の転換点だったといえますね。
どのように、国際社会で歩み寄らないといけないか探らないといけませんね。
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